【良書に親しむ】

東京帰りの疲れも少しずつ落ち着いてきた。
淡々と病院に行き、早めに帰ってきた。
今日は、何も考えず、好きなことをしようと思い、
動画サイトで次郎長三国志の予告版を観て、愉しんでいた。

読書は集中できず。新・平家物語の(一)はもうすぐ終わり。
平治の乱。ようやく頼朝が13歳での初陣を飾る場面だ。

吉川英治の表現は一言でいえば、美しく激しい。
表現として用いる言語が美しい。
源平に生きた戦人や、宿命に翻弄される人たちの息遣いが聞こえてくるようだ。
難しい漢字はいっぱいでてくるが――――吉川文学は王道だと思う。

良書に親しむこと。
人生において、それが大事なことなのだと、しみじみと思う。

【いざ勝負】

今日、東京へ行ってきた。
弁護士に今後の身の振り方を相談するためだ。

複雑繁多なわが胸中。しかし、我が身を思えば、我が家族を思えば、
打って出るしかない状況。

不調を押して、電車に飛び乗った。
乗り慣れぬ電車に揺られて、弁護士事務所に着く前に、よれよれになってしまった。

弁護士との相談は二時間に及んだ。
良き人物だと思った。味方になれると思った。
いや、味方にしなければと話の中で、切に願った。

自分の状況、家族の状況、ありのままに語った。

弁護士の言葉を要約すれば、「退くも地獄、進むも地獄」という感じ。

もしかして、家と土地を売り払わなければならないかもしれぬ、と。

家族をバラバラにして、それぞれが生きていかなければならぬかも、と。

私は私で、持病を申請し、扶助を受けるべきだ、と。

淡々と私は聞いていた。心の葛藤を堪えながら。

二時間という時間は私には過酷な時間だった。

メトロに乗り、再び上野に着き、すぐに電車に飛び帰って来た。

疲れ果てて、口を利く余力すらなかった。
これから始まる難局に、どう立ち向かうか。

まさしく今日は人生の船出であることは間違いない。
舵取りを間違えれば、難破する。転覆するだろう。

しかし―――心も身体も病みきっている私が、財も信用も失った私が、
この難局を打ち破って、
勝利のドラマを演じきってみせたら―――同じ悩みに苦しむ数多の人達に、どれほどの勇気を与えられるだろうか。

まず、私が勝利の突破口を開いてみせよう。
いいかい、よく見ておいて頂きたい。

人は目先ではわからぬ。どんな身におかれようとも、心は王者でいくのだ。

人は恨むまい。恨めば恨んだだけ、己がみじめになるだけだ。
人を羨むまい。そんな女々しい私ではない。そんな軟弱な私ではない。

今は、現実を受け止めて、淡々となすべきことをなすまでよ。

「先生、私は必ず勝ちます。『妙とは蘇生の義なり』今こそ実証を示してまいります」

体調の波はある。身体もままならぬ。
しかし―――心は負けてなるものか。
心は病んでも、負けてはいない。否、負けるものか。

今さらじたばたしても意味がない。
どうなろうとも、私は負けない。
勝つと決めたから、勝つのだ。
わが人生に勝つのだ。
生きて生きて、生き抜くのだ。

わが恩師なら、そう言うだろう。泰然と進むのみと。

10年後、20年後、30年後―――人生は長いスパンで見なければ、わからない。
目先にとらわれず、じっくりと腰を据えて戦うのだ。

今日の弁護士、キレ者と見た。動いて動いて動かせてみせよう。

さあ、一念を切り替えて、人生をひっくり返す時が来た。
ピンチは千載一遇のチャンス。このチャンスは絶対に逃さない。

われらの「負けじ魂」を満天下に見せつけようではないか。
「絶対勝利」の道を進む我らに、恐れるものなどない。
仏法は勝負なりせば、臆することはなし。

心は王者。心こそ王者。―――とことん、やってやろうではないか。
大いに戦い、思う存分、大胆にやってやろうではないか。
それが、池田門下の心意気よ。

【名将になりきる】

一度、裏切りにあった医者にまた行かなければならぬようになった。
レーザー治療が、やはりその病院にしか設置されてないからだ。
軍門に下るような気がして、二度と行くものかと決めていたが、
身体の痛みには、どうしても、そのレーザー治療しか効かない。
口惜しい気がして、二の足を踏んでいた。
しかし、身体の軋みはどうしようもない。

考えた末、こう思った。

「よし、秀吉になりきろう」と。
「秀吉のように、相手の気を逸らさずに、いつの間にか、自分の『道具』として使ってやればいいのだ」と。

天下人・秀吉は、言葉は悪いが、言葉を巧みに操って相手の懐に取り入り、人心を掌握し、天下を取った。
人の情に取り入り、その情で負けた秀吉であったが、
その心配りは、あの信長でさえ「ういやつ」と可愛いがられていたという。

秀吉の心を決して師にするわけではないが、本来は不器用な私。
本当は人を褒めることも苦手だ。思っていても口にすることが、苦手だ。

しかし、この有事の最中。
そんなことは言ってはいられぬ。このままで身体を終わらすわけにはいかぬ。

相も変わらず慇懃無礼な医師。
この医師に本当に人間の血が通っているのかと言いたくなるような老醜の小男だ。

しかし、自分の身体を少しでも楽にするには、役者になりきらなくてはならない。

抑うつ状態の私には、神業とも思えるものだ。

無表情の自分の顔をまず変える。笑顔をつくる。
看護師さんや、受付の方々は、元々、私の味方となって下さっている。

上半身裸になり、面白くもない表情でレーザー照射の位置に印をつけるジジ医者。

私は交通事故の患者なので、関わりたくもないという表情をもろに出している。

そんなことで、怯む私ではない。私は秀吉。そう、サルの秀吉。

「先生、先生の病院に来ると、癒されます。それは、このレーザーだけではないですな。レーザーは確かに効きますが、それだけではないような気がします」

ジジ医者「―――なんでだね?」

「この小高い山から、眼下に広がる景色、このパノラマを見せて頂けるからでしょうねーー」

ジジ医者「ほう。そうなんだよ。この山は私が40年前に買い求めた土地でね――――」(大ノリ)

「そうなんですかーー。この景勝地は、先生の診察を受けられないと見れませんからねーー。この眺めから見る朝日や、満月などは、どれほど美しいものでしょうねーー」

ジジ医者「それは、君、素晴らしいものだよ。美しい自然を独占した気がするよ。今、ちょうど五月の風が吹いているだろう。
この酸素をたっぷり含んだ五月の風に身を任せているとね、幸福だなと思うんだよ」(かなりの大ノリ)

「そうでしょうねーー。そのせいだと私は思ってます。先生はお写真が確かご趣味だと伺ったことがありますが、あの壁に掛けてあるお写真は先生の作品でしょうか?」

ジジ医者「(大ノリノリ)そうなんだよ!私は写真とゴルフと読書が好きなんだが、中でも写真は一番好きでね。写真旅行とシャレこむ日もあるんだよ」

「そうなんですかーー。実は私も写真が好きでしてーー。
もちろん、子供の遊びみたいなものですがーー。
先生の作品はどれも、繊細で、自然を美しく表現されてます。
私が言うのは、おこがましいんですがーーー」

ジジ医者「いやいやいやいや、私は嬉しいよ!!私の作風をわかってくれるのは嬉しいものだよ。いやね、私のカメラは――――(ここから長いうんちく)」

私はいちいち、頷き、ほーーーっと感嘆の声を上げる。

そんなこんなで、治療時間は終了。

「いやーーーー楽になりました。背中の鉛が溶けていくような感じです」

ジジ医者「それはよかった。励んで治療に来たまえ」

「ありがとうございます、これからもお世話になります、いやーーありがとうございました!(満面の笑顔)」

ジジ医者「(つられて笑顔)」

――――ふう。疲れたが、これも生きる術。
おかげで身体の痛みが一割ほど和らいだ。

人を動かすというのは、難しいものだ。しみじみ思う。

今は味方を増やす時。四の五の言っている場合ではない。

己が感情はさておき。今は身体を治すのが先決。

「関白殿もご苦労しましたな。しかし、わしはおぬしよりも上手を行くぞ。生きるために。生き抜くために」

あのジジ医者が一筋縄でいくとは思わぬ。
しかし、のらりくらりとかわすのみよ。
ここらへんは家康や勝海舟だな。

しかし、わが心は常に義経のごとく。大楠公のごとく。

恩師の苦闘に思いを馳せれば―――億千万分の一にも及ばぬ。

何があろうと、私は生き抜いてみせる。何があろうと。

【寂しさと口惜しきかな五月病】

無口な日々だ。
完全な思考停止。

幹部に当たった。
それだけで今日は勝利だろう。

もう一度、最初から「新・平家物語」を読み返す。

なかなか集中力がなく、数行読んでは休憩を繰り返す。

この一行一行が、いずれは血肉となりん。

この瞬間も血肉となりん。

【寂寥感】

本当の私は、孤児根性の塊なのかも知れぬ。

弱い弱い意気地なしだ。

寂寥感に覆われた我が心。

強がりはやめて、身の丈で生きたい。

正直な生き方、以前のように元気いっぱい生きられたら。


生きられるのだろうか。


人として生きるのが、寂しくてならぬ。


どうかそっとしておいて欲しい。