【慢心】

ある人から話を聞いた。

うつ病を克服した人がいる。

その人曰く

うつ病など『甘え病』だ。うつ病で自立支援を受けている人間など『ダメ人間』だ」と。


あまりの愚かさに閉口した。

それと同時に「慢心」というものを考えさせられた。

時折「自分は○○を乗り越えた」という人がいる。

「私が乗り越えられたんだから、アンタも乗り越えなさいよ」という台詞。

この言葉を吐くようなゲスな人間は所詮、自分の「己心の魔」に負けている証拠だ。

乗り越えられていないではないか、己の愚かさを。


悪戦苦闘して、克服に至った感謝がないから、自分で自分の越してきた道を否定してしまう。
こんな愚かしい不幸があるだろうか。


こんな人間の言葉に傷つく事はない。
傷つく自分が馬鹿らしいではないか。


心の真ん中に師匠を置け。
されば、迷わぬ。


不思議なもので、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んでいると、
読み手のこちらまで、気が大きくなってしまう。

あまりにも有名な話なので書くのをためらうが、
龍馬は幼き頃は有名な泣き虫だった。
12〜13歳の頃まで寝小便をしていた。
町内でも有名な「ホロスケ」(茨城弁でアホという意味)だった。

一般から見ればただのホロスケな龍馬。
そんな龍馬の、「天賦の才」をただ一人、見出していた姉の乙女。
弱っかしの龍馬に剣術の稽古をつけ、ただのホロスケだった
龍馬が19で剣術修行に行き、ただならぬ強さを身につけ、
ホロスケ龍馬が維新回天の立役者となっていく。

龍馬の人生は33歳と短かった。
最期は暗殺された。胸のピストルを抜く間もない程、虚を突かれた。

それでも龍馬の人生は、何と大らかで逞しいのだろうと思う。
そして、また龍馬の器を信じた姉・乙女も、凛々しい女性だった。

龍馬は組織に属さず、ボーダーラインを持たぬ男だった。
後に土佐藩を脱藩したが、「脱藩」というものがどれほどの重罪か。

家族親戚一同も巻き込む大事件なのだ。

しかし、姉の乙女は「お前は土佐に収まる男ではない」と脱藩を了承する。

離縁して戻ってきていた姉の栄も、名刀を龍馬にさずける。
後に、龍馬に刀をさずけたばかりに栄は自害に追い込まれてしまう。


ここまで簡単に書いているが、実際の龍馬を含む周囲の人々の心中はいかばかりだっただろうか。

根っから楽天的な龍馬も、自分のために親族一同に大迷惑をかけてしまうのは、口にはできない辛さがあっただろう。

しかし、事を為すには必ず犠牲にならなければならぬことがある。

龍馬は男の中の男だ。男が惚れる男だ。

天真爛漫、小さいことは気にしない。豪胆にして細心。
土佐に収まるような小さな男ではない。

龍馬が脱藩をし、政治活動をしたのはたった五年ほどだったという。

五年の間に、この龍馬という男は天下の大仕事を為そうとした。

維新の暁を見ずに、凶刀に斃れた龍馬。

日本どころか、世界を見据えていた革命児は桜が散る如く、この世を去った。

しかし、心の中で龍馬はこうなることはわかっていたかも知れぬ。

龍馬と織田信長は似ている、という話を聞いたことがある。

なるほど、確かに似ている。

日本国ではなく、世界を見据えていた革命児という点では合点がいく。

しかし、生き方が違う。

同じ「天下のうつけ者」でも、生き方が違う。

信長は神仏を畏れず、自らを「第六天の魔王」と名乗った。

この一点だけでも違う。

龍馬は大らかに細々とした事は一切抜きにして、天下を動かした。

どうせ生きるのであれば、人を恫喝しながら生きるよりも、
龍馬の大らかで逞しい生き方がいい。

敵をも味方にした龍馬の生き方。私はすっかり魅了されてしまった。

吉田松陰の清い魂もいい、松陰の魂を受け継いだ高杉晋作もいい、
でもこの愛嬌のある龍馬の豪快な生き方に私は感服する。