【近況報告】

床に伏せながら、一日一日を繋ぐ日々。
しかし、負けてはいない。
誰が白旗を揚げようか。
私をなめてはいけない。


後れ馳せながら、疾走の志士・高杉晋作を読んでいる。

戸田先生が「晋作には会いたかったな」と言われた言葉が頭から離れず、
図書館から借りてきた。回らない頭で想像力を掻き立てて、読んでいる。

そう、想像力で。
想像力なくして、人の心を思いやることができようか。



私は幼い頃から病弱だった。
学校も碌に行っておらず、読み書きは漫画で覚えた。
私の教科書は手塚治虫石森章太郎藤子不二雄だった。


どうしても自分が落ち着ける場所が欲しいため、荒れ果てた納戸を片付けようとしている。


怪力を誇った私も、事故の経過が思わしくなく、握力がほとんど無くなってしまった。

段ボールを開いてみると、中学時代に読んでいた小説の束が出てきた。

赤川次郎、つかこうへい、星新一松本清張
ゴロツキだった自分が、意外な程、読書家であったことに苦笑いした。

谷崎潤一郎などもあった。
痴人の愛」を読んで、吐き気を催したことを思い出した。

宮尾登美子の作品も出てきた。


あの頃の私は、何を思いながら、読んでいたのだろうか。


違う段ボールを開くと、当時の通信簿があった。

当時の担任は、ほとほと私に手をこまねいていたのだろう、
「本人のやる気次第としか言い様がありません」と書いてあった。
新人教師として赴任して、私のような生徒に当たってしまった。
若い彼は悩んだろう。私が原因となって、彼は心を病んでしまったのだから。

青年教師は希望に満ち溢れていたはずだ。可哀相なことをした。

後日談になるが、私が二十歳になったばかりの頃、偶然買い物中の彼に会い、
当時の私の不埒を詫びた時、彼は人目をはばからず涙をこぼしていた。


納戸を片付けるには一週間はかかるだろう。長くみても10日はかかる。

今の私には、まず自分の傷めた心身を休めなければならない。
二畳ほどのスペースしかないが、これを工夫して、自分の休憩所にしなければならぬ。


頚椎のリハビリが大幅に遅れたせいで、療養生活は長引くだろう。
場合によっては、入院生活も考えている。
これが今の現実だ。
潔く、受け入れるしかない。


数年前、私がブログに残した言葉がある。
それは「病を解ってほしい」という気持ちは捨てよう、と記してあった。

「解らないのが当たり前」とも。

いつの間にか「解ってほしい」と思いすぎていたのかもしれぬ。
それだけ、辛かったのかもしれぬ。
余計な雑音に心を乱されていた。第六天の魔王にしてやられた。

全く本末転倒だ。


「解らなくて当たり前」
そう思えば、無理解の壁に憤ることもない。

敢えて、自分の辛さをひけらかすこともないだろう。


家族や友人に心配や、迷惑をかけるが、今は是非のないこと。


「宿業」と捉えれば、マイナス思考。

「深き使命」を果たさんと奮闘の最中だ。決して卑下してなるものか。

私を誰だとお思いか?

生粋の池田門下生よ。

今に見よ。10年後、20年後の私の姿を。

これ慢心にあらず。
法華の慢なり。
池田門下の心意気なり。

誇りも高き池田門下生なり。