【悲運の武将】
その名は上杉三郎景虎。
小田原城主・北条氏康の七男として生まれ、幼い頃より人質として甲斐の武田信玄に送られた。
信玄は「関東一の美男子」と謳われるほどの容姿端麗さと、才知溢れる三郎を気に入り、自らの養子とした。
北条と武田の和睦が破れた後でも、無事に小田原城に帰されたという。
三郎は人質として「たらい回し」にされた生涯だった。
上杉謙信と北条氏康が同盟を結ぶと、今度は上杉の人質として春日山城に入らせられる。
三郎と対面した謙信は、この聡明にして美貌を持つ少年を、人質としてではなく、自らの幼名である「景虎」を与え、養子として厚遇した。
謙信は景虎に若き頃の己の姿を重ね合わせる思いだったのだろう。
「この少年に何とか安住の地を与えてあげたい」
「いずれは関東の棟梁に」という思惑もあったのだろう。
実姉の嫡男である喜平次(景勝)を養子に貰い受け、越後国は景勝、関東は景虎と、「連立政権」の構想があったはずだ。
無口で無愛想、不器用で刀にしか興味を示さない景勝に対して、景虎は人当たりも良く、誰にでも穏やかな人柄だった。
知勇兼備の景虎人気は凄まじく、城内の侍女達は、景虎が姿を見せただけで失神するものまでいたほどだった。
芸事にも長け、剣術も素晴らしかった。
「景虎様にはかなわない」
春日山城では、そんな声が圧倒的だった。
景虎自身もまた、自信家だったし、戦においての采配は天才的だった。
「何でも出来て当たり前」
人は賞賛されると、浮き足立つもの。
それが知らず知らずのうちに「慢心」になり、己の身の丈を見失う。
ある意味で、人の賞賛ほど危ういものはない。
仏頂面で何を考えているのか分からない景勝を、景虎は心の何処かで侮っていた。
しかし、彼(景虎)はないものがあった。
優秀なブレーンの存在だ。
景虎を誉める者はいる。
しかし、景虎も人間。
足りない部分を補う片腕がいなかった。
また景虎も、自身の才に溺れていた面もあったはず。
口にこそ出さないが、「御屋形様(謙信)亡き後は、私が家督を引き継ぐようになる」と考えていたはずだ。
春日山城の世論も「景虎支持者」が多い。
自然の成り行きで、家督を継げるはずだ、無能の景勝に何もできるはずがない―――。
謙信の姪を妻とし、男児をもうけ、これで将来は磐石。
後は上杉の名に恥じぬ武将となるだけ。
悲しいかな、景虎には福運がなかった。
謙信が廁で倒れ、そのまま4日間の昏睡の後、急逝した。
養子同士が家督を巡って諍う「御舘の乱」が始まってしまった。
無能といわれた景勝には、景虎に勝るとも劣らない樋口与六がいた。越後最強の上田衆がついた。
翻って、景虎には愚将ばかりが集まってしまった。
天魔は景虎に嫉妬したのか。
無益な血で越後を汚した悲しい戦いは、景勝に軍配があがった。
降伏の証に差し出した一粒種の道満丸は山中で殺害された。
天国と地獄を見た男の最期の傍らには、たった一人だけ自分を愛し、あの世まで添い遂げようとする愛妻・華姫がいた。
「われ生き過ぎたり――」
最期の言葉を遺し、華姫と共に霊山へと旅立っていった。
享年26歳。
天魔に魅入られた純真無垢な青年は塵と消えてしまった。
何と悲しい、何と悲劇の人生か。
越後の淡雪のように、白く儚い一生だった。