【名将たちに思う】

義経はよく月を見ていたという。
天真爛漫な義経は、実兄である頼朝の仕打ちが、
どうしてなのか、悩んだ。
「兄弟なのになぁ――」
そう呟きながら、月を見ていたのかも知れぬ。
戦の天才・義経も、寂しさを噛み締めていた。
だから、盗賊だろうが海賊だろうが、郎党としたからには、
家族同然に扱った。
手負いの家人がいれば、膝枕をして傷の手当をし、
自らの身代わりとなって討ち死にした佐藤継信の亡骸を抱いて、
子供のように泣いたのだろう。
愛妾がたくさんいたのは、それだけ義経は優しく心の綺麗な青年だったのだろう。


信長。
自らを第六天の魔王と名乗りながら、正室や側室には優しかった。
母の愛情が薄かったせいか、好きになる女性には、必ず台所にある道具の名を与えたという。
冷酷無残な信長の意外な一面だ。



謙信は、月を肴に酒を手酌で呑むのが好きだったという。
越後を守るため、人材育成のために、家臣である若者たちと
議論を交わしながら、酒を呑むことが好きだったと。

琵琶を弾きながら、月を見て、歌を詠む謙信は常に孤独だった。
謙信は軍神のような印象ばかりが先行するが、その内心は、
戦を好んでいたとは思えない。
できれば戦などなく、穏やかに暮らしたかっただろう。
それでも戦わなければならぬ、己の宿命を恨んだこともあっただろう。



甲斐の虎・武田信玄も実父との諍いに悩んだ青年期だった。
戦に出ても敗戦続き――考えられぬが、信玄は敗戦を繰り返す将だった。
その敗戦が、因となり、後に戦国最強の武田軍を率いた。
血を吐く思いだったろう。

だから何としてでも謙信には勝っておきたかった。
しかし、勝てなかった。

霧の川中島
謙信が信玄の姿を見つけ、ただ一騎で太刀を振りかざしてきた瞬間、
信玄は、軍配でかわすと、霧の中に逃げ込んでしまった。
そんな己に情けなさを感じたのは、誰よりも信玄自身だった。
軍師・山本勘助も斬られてしまった。

織田信長今川義元桶狭間の戦いのように、一騎打ちで、
何故、勇ましく戦えなかったのか――そんな思いもあったのではないか。



晋作も悩んだ。師・吉田松陰の言葉を理解できずに。
松陰の言葉をやっと理解できた時には、晋作はすでに病の床に臥せっていた。
「吉田先生―――晋作は不肖の弟子で御座いました…」
豪放磊落・金銭にだらしがなく、女にもだらしがない。癇癪もち、長州の暴れ牛。
しかし、己の信じた義のためなら、いつでも死ぬ覚悟。
破天荒な男の人生は太く短いものだった。



平凡な人生を送ることは案外難しいものなのかもしれぬ。


トップに立つということは、人から理解されぬ、非難されるのを覚悟で
生きなければならぬということなのだろう。
巧く立ち回ろうという鼠のような根性では、天下は取れぬ。

直江兼続亡きあと、上杉家は「親・兼続」と「反・兼続」で諍いがあった。

悲しいかな、人は「義」を忘れるものなのだ。

目先の欲に目がくらんでしまうものなのだ。

「何のため」――――この一点を見失っては、大海に弄ばれる木の葉になってしまう。

儚い一生だ。

この儚い一生に、私はどれだけ義を貫き、師に報いる戦いができるだろうか。