【参謀力 直江兼続の知略】

昨日から、余り言葉が出ない。

主治医と信じていた医者の百八十度の方向転換。
「裏切った」という言葉が当てはまる。

医者自身が高齢者であること、
実は交通事故の取り扱いが不慣れであること、
痴呆が入っているのか、全く昨日の話をきれいに忘れていること、

私は事故の被害者ではないか。
何故に第二、第三の事故に遭わなければいけないのか。

医療とは人の命を守る仕事ではないか。
大層な言葉を並べて、保険会社と対峙するといった言葉は、無かったことになっている。

もう高齢者なら、潔く病院の看板を下ろせ。
老醜の医者に、私の人生を預けるわけにはいかない。


信頼を寄せていただけに、その手の平返しは辛かった。

つくづく、病院には恵まれないようにできている。

悲しくて悲しくて、やりきれない。

自暴自棄になりそうな心。
昨夜は甘酒に日本酒を多めに入れて飲んだ。
酔えなかった。
そんなことで気分が紛れるのなら、悩まない。


眠れずに重い心を引きずって、
図書館から借りてきた直江兼続の「参謀力」という本を読破する。
童門冬二の著作だ。
童門冬二氏は潮社から「師弟論」という本を出している。

読んだことはないが、興味を寄せていた。


読み進めると、直江兼続は天下一の参謀なのかと思わせる。

源義経の最期は悲劇で終わる。
同時代ではないので、一概には言えないが、義経に兼続のような軍士がいたら、悲劇的な人生にはならなかった。

優秀なサポーターの存在がいかに大切か。
兼続の生涯を読むと、そう思わずにはいられない。

上杉景勝は善良過ぎて、兼続なしでは領主として生きることは出来なかったろう。

兼続は周囲万端、知策を弄して景勝を守りに守り抜いた。
細心にして大胆。
時に冷酷に情勢を見極めた。

人が好すぎるだけでは勝てないのだ、と私に教えてくれる。

印象的だったのは、関ケ原の戦いの後の、兼続の振る舞いだった。
家康の前で、上杉家を守るため、堂々と水の流れるが如く、尋問に答えたという。

「たとえ生き恥を晒しても、おれは死なん。生きて生きて、上杉家を守るのだ」


「生き恥を晒しても生き抜く。師謙信のために」


生き恥を晒しても―――という下りに、目を奪われた。

武士としては、本来ならば切腹
それは、ある意味簡単なこと。

しかし、兼続は生きて上杉家を守り、農民として民を救った。
自分の命を民のために、使った。

潔い。読んでいて、ささくれだった私の心が少しだけ、潤った。


まだまだ元気にはなれないけれど。
兼続の振る舞いは、我が恩師に似ている。
それだけでも嬉しかった。


落ち込んだ時は、歴史に学ぶと良い。

老人相手に傷つく方が、間違っているのかも知れぬ。

医者の権威にしがみつき、老醜を晒して、民を助けぬ医者など、早く足を洗った方が良い。


そして私も、焦らないで、百年先を見る思いで、生きよう。

辛いが、致し方あるまい。
人生には、こんなこともあるだろう。

落ち込むことも、負けることもあるだろう。

回復力を待って、次の戦に備えるのだ。
時間はまだまだあるだろう。

生き恥を晒しても生き抜く勇気。
誠実に生き抜いた兼続に、万雷の拍手を送りたい。