【百花に先駆けて咲く使命】

病院に向かう車窓。

途中、山の中腹に咲く紅白の梅林がある。

綿のような雪を纏い、静かな佇まい。


菜種梅雨。
雨や雪にさらされながら、
梅は満開の姿。


梅は百花に先駆けて咲く。
小さき儚なげな花なれど、
実は大地の先駆者だ。

厳寒の中、鮮やかに咲き誇る。

それだけではない。

花を散らしても、やがて実がなり、緑鮮やかな珠のような姿へと変える。


花は散れども、なお、地中の養分を吸い上げ、見事な実を結実させてみせる。

「生きること」
「どんなことがあっても生き抜くこと」

梅は無言でそう語る。


人生に疲れた数日を過ごしていた。

「普通の身体になりたいです。
普通の暮らしがしたいです」

ある人との対話の中で、つい口から出た本音。

「悔しいです」

ままならぬ身体、過酷に思えた現実に、私はすっかり余裕をなくしていた。


涙を拭く力もなく、うつむき、さめざめと泣いていた。
そして、そんな弱き自分を責めていた。


私の姿を見ながら、静かに、しかし、凛とした口調でその方は
口を開いた。


「私にも、あなたと同じぐらいの息子がいてね…脳腫瘍で入院中なんだ…」


「病気一つしたことのない子でね。ずっと健康そのものだったから、まさか脳腫瘍になるなんて思いもしなかった」


「まだ孫が小さくてね。
私が面倒を見てるんだ。まだ五歳だから、可愛くてね」


「最初の手術の時、絶対に成功すると確信していた。だけど、そんな甘いものではなかった。」

言葉を詰まらせながら、話をしてくれた。


どれほど辛いものだろう。
その言葉の端々に、ご子息の容体が容易ならざる状態であることが分かった。
恐らく、末期の段階なのだろう。

「息子はそんな状況だけど、負けてはいない。髪の毛はなくなっちゃったけどね」


「あなたも辛いだろう。
辛いだろうけども、敢えて言う。
絶対に負けてはいけない。
あなたは一家の柱だ。
柱が倒れてはいけない」


一つ一つの言葉は厳しかった。
しかし、暖かかった。
命懸けの言葉だった。


正直に書こう。
私は「死」というものを、覚悟し、身近に思い詰めていた。

痛みと薬の副作用。
激しい疼痛と目眩に負けていた。

目に見える疾病なら、どれほど楽だろうかと、思っていた。

自分の心に嘘はつけなかった。

逃げたかった。
逃げられる訳もないことを知りながらも、逃げ出したかった。

そんな弱気になっている私の本音を見抜いたのだろう。
厳しく叱責された。


「今度会う時は、少しでも良いから、元気になっていることを祈っている」


私は、ただただ、泣くばかりだった。
「はい」と言葉を返すのがやっとだった。


私は何のために生まれてきたのか。
「何のため」


梅も桜も、名もなき雑草も、ただただ生き抜くことを信じて、咲く。

花は素直。
花は誠実。
花は執念。

咲かないと決めて、蕾を頑なに閉じる花はない。
花は咲くという、己の使命を疑わない。

人間も花も一緒だ。
同じ宇宙に棲む「同志」だ。

他人と比べて、焦る花はない。
見栄や虚勢を張る必要もない。


かつて恩師は水戸の偕楽園を訪れた時に、満開に咲く梅を見ながらこう言ったという。

「梅は百花に先駆けて咲く、法華経のような花だね」と。
忘れられない言葉だ。


寒さを凌いで花が咲く。
どんな風雨が吹き荒れても、
咲いてみせる、その心意気。

境遇を嘆く花はない。
その潔さ。気高さ。
「もっと陽当たりの良い場所なら、綺麗に咲けるのに」などと愚痴をこぼす花はない。


卑屈になることはない。
絶望することはない。

幸不幸は環境ではない。
心で決まるのだ。
それはそれは、峻厳なものだ。

運命が過酷であればあるほど、
それを乗り越えて、咲いた花は美しいだろう。

それは覚悟の上ではないか。
覚悟を決めれば、畏れるものなどない。


永遠に続く冬はない。
冬の次は必ず春になるのだから。

喜んで、百花に先駆ける梅になろう。

私でなければ咲かすことのできぬ使命がある。必ずある。

私にとっての使命は、無様でもいいから、生きて生きて、生き抜くことだ。

梅の花は優しく強く、凛とし、今日も咲き誇っている。