【慈無くして偽り親しむは是彼が仇なり】

Y氏のブログを久々に覘く。

座談会について、滔々と書いていた。

私は疑問だ。

彼は「公人」だ。
いくら匿名の世界であっても、「公人」として、自分の置かれた立場を省みることができないものか。

匿名性を良いことに、
自分の主張をネットに書き込む姿勢は遺憾だ。

確かに私は彼に恩義はある。
しかし、看過することはできない。

公人として、自分のHPに大聖人の御書の一節を載せるのは、いただけない。

私がこの話を上に通せば、握りつぶされるだろう。

現場の事なかれ主義は、もうわかりきったことだからだ。

日ごろの鬱憤を他党にこじつけ、師匠の言葉を利用して、自分を大きく見せたい自己顕示欲が大きいのかも知れない。

そして、身内を庇う。
自分や身内を批判されると、感情的になる。

私が退けば良い、という問題ではなくなってきた。

党人事はどのような基準で、議員を送り出すのか。

師の言葉のままにいくのであれば、
遠慮会釈なく、徹底的に相手の命を斬り捨てていくのだろう。

見て見ぬふりは―――私は出来ぬ。

かような人間に頼らずとも、生き抜く智慧を身につけ、
力をつけねば―――と思う。

悲しいかな、今はまだそれが出来ぬ。
これほど口惜しいものはない。

己の宿命を苦々しく思う。