【長渕剛を聴きながら】

母は頑なに入院を拒んでいる。

3日の入院も嫌だと云う。

金銭的な問題ではなく、そのまま家に戻れなくなってしまうのではないかという思いがあるようだ。

結局、私が母の通院に付き添いながら、合間を縫って、自分のリハビリを行わなくてはならず。

これも致し方ない。



車を走らせながら、長渕剛の昔のアルバムを聴いていた。

長渕剛の詩は一貫して「怒り」が溢れている。
世知辛な世を怒っている。

この年齢になって長渕剛の本当に言いたいこと、伝えたいことが、わかるようになった気がする。


長渕は怒る。

狡猾に生きる人間に。
腹黒な人間に。
卑怯な人間に。

権力を握った腐った人間に。
天狗になっている人間に。

挑みかかるように吠えている。


人間の性分というものは、年齢的なものとは別なのだ。

若くして周りからちやほやされて、何が正しくて何が悪いのか判断力の無い人間もいる。


だから、信じてはいけない。
人に期待してはいけない。


信用のおけない人間は、歳が若かろうと老いていようとも、変わらないものだ。

頑健な身体を持ちながら、その心は自ら判断を下すことすらできない、卑小な小男の臭いがする。

身の丈を知らぬ人間ほど滑稽なものはない。


長渕剛の怒りのこもった歌に、そう思う。