【辛抱の履歴書――水戸泉眞幸】

私はくまおばちゃんの影響を受けて育ったので、大の相撲好きだ。

今は特定の力士のファンがいるというわけではないが、相撲はとかく大好きだ。


今から17年前、茨城県水戸市出身の力士が幕内優勝を飾った。

平成4年7月名古屋場所

ケガと病気に苦しみながら、我慢に我慢を重ね、相撲界に入門してから14年目にして、栄光を掴んだ。

その青年は水戸泉という力士だ。

早くに父を亡くし、母の手一つで育った。
母と幼い弟の三人家族。

母は夜となく、昼となく働いた。働いて、働いて、子らを育てた。

ある日、突然、母が「甲府に行こう」と子供たちを電車に乗せる。
その日の母は優しく、日頃の貧しさでは考えられないほど、
子らが、ねだるまま駅弁やジュースなどを買って与えた。

母は富士の樹海で心中を思い詰めていた。

しかし、無邪気にはしゃぐ子供達を見て、どうしても死ねなかった。

どうして子を殺せようか――。


母は子供たちが大人になった頃、ぽつりと呟き、口をつぐんでしまった。


長男の眞幸少年は、そんな母の背中を見て育った。
「おれが親孝行して、母ちゃんを幸せにするんだ」


中学時代、柔道とレスリングに明け暮れた眞幸は、思いがけないところで、相撲界からスカウトされる。

初の外人関取、元関脇・高見山のサイン会に訪れた際、一際大きな体躯をもった眞幸に声をかけてきたのだ。

眞幸は相撲など全く興味もなかったし、相撲界は恐ろしい世界だと恐怖さえ覚えていた。


紆余曲折あって、眞幸は決断する。

「母ちゃんの親孝行のために、おれば相撲取りになる」

眞幸は15歳の春、高砂部屋に入門する。

ケガと病気のデパートと揶揄される悪戦苦闘の戦いの火蓋が落とされた。


稽古に稽古を重ね、人の何倍もの稽古をした。

しかし、本場所になると運命は眞幸に、これでもかと試練を与える。

病気、そして力士生命を脅かすような大怪我。

負けそうになる心。
ふと「相撲がとれないなら、いっそのこと死んでしまおうか」と、ふと脳裏をよぎる。


そのたびに思うのは、母のこと。
茨城に置いてきた母のこと。

そして、周りを見れば、全く歩けない人が懸命にリハビリに励んでいる。

老いも若きも、それぞれが必死になって生きている。
生きようとしている。


「もう一度、おれは相撲をとる」
眞幸はすでに四股名を「水戸泉」と名乗っていた。

大関候補と言われながら、あと一歩のところで、ケガに泣く。
その繰り返しの土俵人生だった。

平成4年7月名古屋場所
水戸泉にチャンスが訪れる。
怒涛の勢いで勝っていく。

そして小錦を始め、水戸泉を「援護射撃」してくれた。
同じ辛苦を味わった仲間。

水戸泉が優勝パレードの時は、おれが旗手をやる」


母との誓い通り、周りの応援に応えてみせた。

「母ちゃん、やったよ」

母は立派に成長した眞幸を見て、目頭を押さえていた。

涙がとめどなく溢れた。

弟・梅の里も十両昇進を決めた。兄弟揃って、関取になった。
母は声を上げて歓喜の涙を流した。


かつては一家心中をしようと、わが子を殺して自分も死ぬと思った母。

「日本一の親孝行」とは、このことだ。


しかし、それから僅かな数年後、母は立派な力士となった息子達を見届けたように、天に召された。

「おれは相撲取り。親孝行には勝って勝って勝ちまくるしかない」
水戸泉は生来、気は優しくて力持ち――それを地でいく、真直ぐな男だ。

だから、大勝ちもすれば大負けもする。

番付が危なくなっても、汚い手は絶対に使わない。
真っ向勝負。


この本のサブタイトルには次のように書かれている。

「人生、笑いの陰に涙あり、辛抱の陰に志あり」


あえて、私が言葉を重ねる必要はなし。

志―――胸に響いた一文字だった。